信贵山朝护孙子寺は、全国の毘沙门天を祀る社の総本山とされる。「縁起」の概要は以下のとおり。圣徳太子が、朝敌物部守屋を讨伐しようとこの山に来て、戦胜の祈愿をすると、天空遥かに毘沙门天が出现して、必胜の秘法を授けてくれた。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であった。圣徳太子は、そのご加护で敌を灭ぼすことが出来た。用命天皇2年(587)。世が治まって后、圣徳太子自ら、毘沙门天の尊像を刻み、伽蓝を创建して、信ずべき山尊ぶべき山「信贵山」と名づけた。延喜2年(902)、醍醐天皇から病気快愈に谢して、「朝护孙子寺」の勅号が赠られた。以来、信贵山の毘沙门天は虎に縁のある神として信仰されている。
圣德太子为了讨伐物部守屋来到信贵山祈求获胜。
此时,毘沙门天在空中显身。
这时正好是寅年寅日寅时。
圣德太子在与物部守屋的战斗中获胜,那一年是用明天皇2年(587年)。
此后,圣德太子雕刻了毘沙门天的塑像,并在该山修建寺庙,赐名该山为“信贵山”,即“应当信仰的山”之意。
延喜2年,醍醐天皇的疾病被治愈,将此庙赐名为“朝护孙子寺”,现在是日本境内祭祀毘沙门天的中心。