第19話 出会ってしまった運命
「大丈夫か!?」
そう声をかけながら、俺たちは魔猪カル・ボアに向かい合った。
近くまで来ると、襲われている人影の正体がはっきりと分かる。
俺たちよりもよっぽど低い身長に小さな体、つまりは子供だった。
長い黒髪と白磁のような肌が好対照をなしている美少女と言っていいくらいの、こんな村には似つかわしくない都会的な格好をした少女であり、おそらくは村の外からここにやってきたらしいことが分かる。
たまに誰かの知り合いが村の外から訪ねてくることも決して少なくはないから、そのこと自体に奇妙なものは感じなかった。母のように、王都に知り合いのいる村人もそれなりにいるし、高貴な人々に縁のある者も少なくないこの村。だからこのような少女が村にいることに、別段奇妙なことはない。
そのような少女が親などの保護者から離れて遊んでいるうちに、村の外縁部へ出てしまったのだろう。そして魔物に出会ってしまった。つまりは今回のことはそういう不幸な事故なのだろう。
魔猪カル・ボアにいつ襲いかかられても避けられるように、よく魔猪カル・ボアの動きを見ながら、後ろにいる少女に話しかける。
「走れるか!?」
「え……?」
普通に都会の街で一生を過ごす分には、野生の魔物に出くわす機会はほとんどないと言っていい。せいぜい、見せ物小屋でその凶暴性を薬などで鎮められた魔物を見物するくらいで、街の人間というのには少なからず魔物の恐ろしさというものを知らない者がいるものだ。
少女もその一人なのか、俺の質問に答えない。
じれったさを感じたのか、テッドが少し怒鳴り気味で叫ぶ。
「走れるかどうかを聞いてるんだよ! どうなんだ!」
「あ、あぁ、大丈夫だと思うのじゃ……じゃなかった、おもい、ます?」
なぜか、少し疑問文で少女はそう言った。
けれどカレンもテッドも不思議なものは感じなかったらしい。
そのまま聞き流して二人は言った。
「じゃあ、とりあえず俺とジョンでこいつはどうにかする。カレンはその娘を連れてアレンさんを呼んで来い!」
「分かったわ! ……さぁ、こっちよ!」
まさに阿吽の呼吸である。テッドは俺の顔を見て少し笑った。戦いに血がたぎっているらしい。どんな敵が相手でも決して気は抜くなと教えてあるから、魔猪カル・ボア相手だろうと油断しているわけではないのだろうが、少しばかり気が抜けている気がした。これは後で特訓だな。
そんなことを俺が思っているなどとは露知らず、テッドは剣をしっかりと持ち、身体強化魔法を全身に巡らせている。この場で倒す気だろう。まぁ、親父が来るのを待つよりはその方がいいだろう。
そんなことをしている中、カレンは少女の手を引いて、村の中へと引っ張っていった。今はもう、二人の姿は遠く、背中しか見えない。カレンに引かれていくときの少女の表情が俺は少し気になっていた。どことなく、変な感じがしたような気がしたのだ。そんな少女の前で魔法を使ったりはできないとも思った。けれどカレンが連れてってくれたし、もう気にすることもないだろう。
「……耐久強化フォルティキーギ!……筋力強化フォルトプレーナ!」
俺もテッドと同じく身体強化を自らに施し、魔猪カル・ボアに向かう。魔猪カル・ボアも決して弱くはない。魔物だ。通常動物と比べたら雲泥の差がある、それこそ化け物と言ってもいい存在だろう。
しかし、星の数ほどある魔物の種族の中で、人語も解することの出来ない低い知能しか持たない上、その魔力の使い方は突進力の強化一辺倒であり、戦い方は直進のみという、本当に猪でしかないその魔物は、魔物の中でも比較的戦いやすいものであるのもまた事実であった。
その気になれば家すらも破壊しかねない強力な突進を繰り出すその巨体は確かに脅威であり、普通の子供なら倒すことなど望むことは不遜を通り越して無謀となるだろう。
けれど俺たちはそうではない。
「テッド、じゃ、いつも通りな」
そう言って走り出すと、俺とは反対方向から魔猪カル・ボアに向かって走り出すテッドの姿が目に入る。
「分かってるぜ!」
その速度は中々のもので、どう見ても子供に出せる早さではない。身体強化魔法のなせる技だった。そのままの勢いで、未だ突進をしようとはしない魔猪カル・ボアの横合いに潜り込むと、素早く剣を振り上げてその足を切り倒す。俺も鏡にようにテッドと同じ事をし、まず魔猪カル・ボアの足をつぶした。
その直後、魔猪カル・ボアの口から、
「……ブモォォォォォォォ!!」
と巨大な叫び声があがるが、俺もテッドもそれに驚くことはない。
冷静にまだ余っている足に取りかかり、突進など出来ないようにしてから、剣を差し込んでその命を刈り取った。
少しの間、びくん、びくん、と痙攣を繰り返していたが、それもほんの数十秒のことである。次第に瞳から光を失い、魔猪カル・ボアはその命を失ったのだった。
「じゃ、解体するか」
テッドがそう言ったので、俺は頷いて答える。
しばらくしてから親父がやってきたので、この魔猪カル・ボアは親父が倒した、ということにしてもらうために口裏合わせをした。村人にとっては誰が倒したかなんてどうでもいいし、この村において魔物を倒せるのは親父だけだというのは常識的な知識である。したがって、それを疑うものなど存在しない。
そのはずだった。
思いがけず手に入れた獲物を、森の中で穫ったものと併せてテッドと親父と手分けして村人達に配り終えると、残りの収穫物をもって家に戻った。母さんは外出中ーー徴税官に食事を出すために村長宅に行っているはずだから、家には誰もいないはずだったが、思いがけず家にはすでに母さんが帰ってきていた。
「あれ、どうしたんだ? 今日は徴税官殿をもてなすんじゃなかったのか」
そう話しかけると、
「いやね、テルーダが料理はほとんど作り終えたし、残りは自分がやっとくから早く帰っていいっていうから早めに帰ってきたのよ。出来れば晩ご飯の支度はしたいところだったし、朝も夜もアレン任せじゃ悪いでしょ?」
と答えた。テルーダはこの村唯一の宿の亭主であり、この村では母さんを除く誰よりも料理が上手な男である。
「ふーん……」
とぼんやり答えつつ、俺は穫ってきた獲物、つまりは森で狩ってきた魔物の肉を母に渡した。
「あら、魔猪カル・ボアに火炎狐フレイム・フォックスね」
と少し顔を綻ばせ、うれしそうである。
魔物の肉は非常においしい。ただ、狩れる人間が少ないために、その肉は基本的に貴重で高価なものだ。家畜化することも難しい魔物の肉は、安定的な供給に向いていないこともある。さらに特殊な調理法が必要な場合もあって、その扱いは簡単ではないが、少なくとも魔猪カル・ボアと火炎狐フレイム・フォックスはどこにでもいる比較的ポピュラーな魔物であり、特別な調理法も必要なく、通常の肉類と同じように扱って問題ないものである。
今、母の頭にはいくつものレシピが浮かんでいて、どれにするか悩んでいるのだろう。とは言っても、面倒くさそうではなく、むしろ楽しんでその行為を行っていることはその表情から分かった。この人は料理が非常に好きなのである。好きこそものの上手なれ、とはよくいったもので、母さんのそういう性質が、この人をこの村一の料理上手へと導いたのかもしれない。
そうして、母さんは晩ご飯の献立を決めたようで、魔物の肉を手に頷くと、まだ母さんの横に突っ立っていた俺に気づき、
「あぁ、ジョン。なんだ、まだいたの。あなたはいいから、自分の部屋か居間で休んでなさい。今日は疲れたでしょう? ……この魔物もあなたが穫ってきたのよね」
最後の方は、少し声を潜めてそう言った。別に誰が聞いているわけでもないのだから、そんな風に声を潜める必要はないのに、とは思ったが、用心はするに越したことはない。そう思った俺は頷き、居間に進むことにした。
親父は魔猪カル・ボアが森から出てきた件について、村長に報告に行っている。出てきた場所が森に近い村の外れの方とは言え、魔物が自分の縄張りから出てくることなどあまりないことである。何か森で起こっている可能性もあり、こまめな報告は必要なことであった。
それに、親父が言うにはここ最近、他の土地でも似たようなことが多く起こっているらしく、何らかの異変の予兆なのではないかとも言われているらしい。殆どの人間は、そのような不安を煽る言説は常のもので、今度もまた何か起こったりはせずに平和に時は過ぎていくのだろうと考えているようだが、その感覚は間違いであることを、俺は知っている。親父もだ。
魔物の活動が活発になってきているというのは、つまり魔族の活動が活発になってきているということに他ならない。今は全く姿の見えない、高位魔族ーー魔人であるが、俺たちが少しずつ戦争に向けて準備をしているように、彼らもまた、いずれ来る開戦のそのときへ向けて、何かしらの準備をしているのかもしれない。