「ビートルズしか聴かない时期があった」

MatsumotoSou
●超自由に表现する、それを100%やるちょうど俺が中1になるときに、亲父からアナログのレコード・プレーヤーと一绪にレコードをもらったんですよ。もうCDも出ていたけど、亲父はロックのレコードをたくさん持ってたから、プレーヤーとビートルズの青盘を俺の部屋にくれた。で、セッティングして、1曲目に流れてきたのが「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」じゃないですか。2曲目が「ペニー・レイン」。めっちゃ聴いてましたね、嬉しくて。その前からビートルズがもちろん好きだったっていうのもあるんだけど、それを自分の部屋でひとりだけで聴けるっていうのは本当に嬉しかった。
――お父さんは"もう中学生なんだからこれくらい聴け"っていう意味でくれたの?
いや、俺がビートルズを好きで、亲父に"あれかけて、これかけて"とかよく言ってたんですよ、日曜日とかに。小学生のときに最初に好きになったのはクリスマスに亲からもらったブルーハーツだけど、家の中ではビートルズもかかってたし、ツェッペリンとかもかかってた。ロックの王道がいろいろあったけど、でもビートルズが好きだった。というか「ストロベリー~」が好きでしたね。あのなんとも言えない物悲しい、不思议な感じ。1回フェイドアウトしてフェドインしてくるのが怖かったり。
――子供だと赤盘に入ってるような曲のほうが好きそうだけど。
そうなんですけどね、あの顷から胸にせまるメロディみたいのが好きだったんですね。で、高2のときに『アンソロジー』をテレビでやったんですよ。あれで完全にいっちゃいましたね。あ、その前に、中学3年生のときに『バック・ビート』って映画があって。あれ见て、うちのメンバー全员やられてたんですよ。"これ超かっこいいぞ!"ってみんなで言って、黒い上下(の衣装)でロックンロールやったりとか。そのときに初めて初期の曲をちゃんと聴いたのかな。初期って有名な曲が多いじゃないですか。でも「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」以外も知ってる俺ら、みたいな。で、决定的になったのは『アンソロジー』をテレビでやったとき。だって俺、髪をジョン・レノンみたいにしてましたからね。
――え? いつ顷のジョン・レノン?
ホワイト・アルバムの顷の。ジョン・レノン・モデルの丸い眼镜も买ってみたりとか。
――体型が违うのに(笑)。
今よりちょっと痩せてたんですよ!(笑)もう他人じゃないと思ってましたもん、好きすぎて。
――でもジョンって复雑な家庭环境をずっとひきずってたりしたけど、素生くんはそうじゃないじゃない? どんな面で自分と同一视していたの?
いやぁ、なんて言ったらいいのかなぁ。头がいいのに不良、みたいな、そういうところにすごい憧れた。病気みたいなもんだったのかもしれない(笑)。だって何ヶ月间かビートルズしか聴かなかったですもん。『アンソロジー』で「リアル・ラヴ」とか「フリー・アズ・ア・バード」が発掘されて、冒头で流れたじゃないですか。あれで"本当にジョンっていないんだな"って认识して、なんかすごい悲しくなった。"あぁもういないんだな"って。そこからすごいのめりこんで。俺はとにかくジョンの曲が好きだった。荒削りだし、振り切れてすごいマニアックだったりするんだけど、なんかその、物悲しさ。张り上げてるざらついてる声とかも、まぁそういう(家庭环境の)エピソードがあってだと思うんですけど、なんか悲しいなぁ、って。普通にパッて振り向いてる写真でも目が悲しいなぁ、とか。ヤンキーの先辈に惹かれる感じ。"あの人かっけえ(=かっこいい)よな"、みたいな。そんな感じがありましたね。